Konaおじさん’s blog

もっと自由に生きよう

街道脇のノスタルジック食堂②

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 栃木県小山市のある扶桑ドライブインで昼食を摂ることにした。昭和レトロの外観同様、店内もレトロ感満載である。

 しかも「昭和レトロ食堂のあの独特」な匂いが、強烈にする店内なのだ。あの独特な匂いの元は一体なんなのだろうか?決して良い匂いではないのだが、どこか懐かしい気持ちにタイムスリップしてしまう、不思議な匂いなのだ。

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 店内はイス席と小上がりのある座敷スタイルがあり、結構な大きさで小上がりの奥には「カラオケ機材とステージ」があるようだ。どうやらここのおかみさんが、歌謡曲などのコンクールに出ていたようだ。

 メニューは「野菜たっぷりタンメン770円」と「焼肉定食990円」の2種類。聞くところによると「野菜たっぷりタンメン」には野菜が1kgも入っているようで、どんぶりにてんこ盛りの野菜は麺にたどり着くまで、かなりの時間が掛かりそうだった。

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 ボクは今回は焼肉定食を注文した。なにしろおばさん二人で切り盛りしているので、注文してから出来上がるまでに15分以上はかかってしまう。この日はあいにくの土砂降りだったが、地元のお客さん以外ににも、他県から来ているような人が何組か来ていた。

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 焼肉定食には冷ややっことお新香、それと写真にはないが味噌汁が付く。焼肉は片栗粉に一度まぶしてから、タレ焼きをしているので、かなり濃厚な味付けで、ボクの好みではなかった。ごはんも「べちゃべちゃ」していて、どうもいかん。味噌汁も残念ながらほとんど味のしない、色のついたお湯のようで残念。

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 なにより「極め付きに残念だった」のは、水を汲んでくれたガラスコップが「ひどい臭い」がすること。きっとおばさん二人だから、きちんと洗えていないんだろうな。まあでも、下水のような臭いのするお水はさすがに飲めませんね・・・残念

愛しの米軍ハウス

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 結局、原作「スローなブギにしてくれ」が全ての始まりだった。

 16歳だった高校生の秋、池袋にあるポルノ映画館で観た「映画 スローなブギにしてくれ」がボクのアイデンティティーを確立したのは言うまでもない。映画を観ながら、原作「スローなブギにしてくれ」と「俺を起こしてさよならと言った」、「ひどい雨が降ってきた」をミックスしてストーリーが創られていることに直ぐに気づいた。それくらい、片岡義男氏の短編小説やエッセイ、長編を愛読していた。

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 浅野温子演じる「さち乃」が、その後のボクの理想の女性になった。彼女の髪型(俗に言うワンレン)1つとっても、未だにボクの好みは変わらない。

 米軍ハウスフリークになったのも、この映画の影響だ。ムスタングの男が住む、福生にある米軍ハウスの佇まいやキッチンの冷蔵庫、カウンターテーブル、米軍放出品の家具に至るまで、それら全てがボクの原点なのだ。
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 都内から自転車で福生の米軍ハウス群を、たまに訪れる。さすがに現存する米軍ハウスの数はめっきり減ったが、それでも状態の良いハウスに出くわすと、その日1日気分が良い。横須賀、厚木や三沢等にある米軍ハウスと福生の米軍ハウスは何かが違うように感じてしまう。

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 ムスタングの男が住んでいた、米軍ハウスは映画の撮影が終わると同時に取り壊わされたらしいが、未だに界隈を散策すれば、スローなブギにしてくれの残り香に遭遇できるのが嬉しい。


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 みすぼらしハウスや朽ち果ていくハウスも多いが、何としてでも保存して貰いたいものだが・・・

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立川や入間に残る米軍ハウスと福生の米軍ハウスには、何故だか決定的に違うモノを感じる。

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 それは多分「人工的な保存」の差であろう。そう言った意味では、沖縄の外人住居(米軍ハウス)の、アノありのままの風貌は、福生のやれて寂れてしまったハウスに、良く似ていて心落ち着くのかも知れない。特に沖縄宜野湾の大山や牧港に残る、ハウス群の特に将校クラスが、かつて住んでいた建物は国宝級に近い程、価値があり何時間でも眺めていたくなる。

 

旧遊廓散歩①

 30年振りに東陽町界隈を散歩して来た。昭和33年に施行され、売春防止法以前は「洲崎パラダイス」として、都内でも屈指の赤線街だった。

 30年前、東陽町に勤務していた当時は、まだ至るところに「洲崎パラダイス」の残り香を感じられる建物があった。有名な「大賀」も円柱のタイル張りの建物も、その用途は変わったが確かに存在していた。


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 令和に入った現在、かつての遊廓跡の残り香は空前の灯火だった。

 商店街に変わった旧遊郭の建物もバルコニーのある独特の建物も、はたまたカフェー調のタイル張りが美しい建物も、ほとんど姿を消していた。


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哀しみの多い「赤線街」は、もはやその存在さえも消え失せてしまったようだ。

旧東ドイツの生理学地下実験室


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 2017年3月、ドイツのベルリンに仕事の関係で3週間程滞在した。ベルリン郊外の森林の奥にその実験室はあった。

 建物は平屋の普通の一軒家に見えたが、そこは地下の巨大な実験室を持つ、旧東ドイツのスポーツ生理学人体実験室だった。
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 1964年の東京オリンピックが開催される、4年前の1960年には既にこの実験室で、スポーツパフォーマンスを向上させる為の、様々実験が行われていた。


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 地下実験室の大きさは、デカイ体育館とカヌー実験室、ステロイド実験室、メディカルルーム、コントロール室、そしてアスリートが寝泊まりする部屋を備える超巨大な規模だった。


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 実験室の入り口には減圧ハッチの鋼鉄製のドアが設置されていて、一旦合宿などの為、この中に入ると最低3週間外に出る事が出来ない閉鎖空間になり、中にはいるドクターやコーチも、選別された精神的にタフなスタッフしか入れなかったようだ。


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減圧された室内カヌー実験室では、1日10時間の練習とドクターによる薬物投与が終わるとそのまま、この中室内カヌー実験室で睡眠を取っていたとのこと。

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 トレーニング施設も減圧されており、当時としては最新の機器だっであろう、エアロバイクやトレッドミル、ユニバーサルマルチマシーンなどが配置されており、自然光の全く入らない空間で、選手たちはトレーニングしていたのだろう。


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 選手たちは宿泊する部屋も当然減圧された空間で、ベッドの横にむき出しのバスルームがある、非常に狭い室内だった。


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 メインコントロール室は地下の減圧閉鎖空間に入る手間にあり、室内の換気や空調、照明などの調整と、中にいる選手やスタッフの様子もモニターで監視出来るようになっていた。


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 1960年当時でもアナボリックをはじめとするステロイドの研究と実験が、この場所で行われていたようで、薬による影響と閉鎖空間に居る圧迫感で、精神に異常をきたす人も多かったようであるが、減圧を途中で止めることが出来ないので、病室に隔離されていたようだ。この施設が今から60年以上も前から稼働していたことに、驚きを隠せなかった。

街道脇のノスタルジック食堂①

 昔ながらの街道沿いに佇む、食堂やドライブインは今や絶滅危惧種である。

 流通ルートの変化やバイパスの整備などのにより、日本全国から「愛しの食堂&ドライブイン」が姿を消している。

 昭和そのものの、街道脇の食堂にはある種のロマンがあるのだ。
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 かすかに黄色みがかった、お茶を入れてくれるおばさんは、少し小太りの方が絵になる。ルリ水玉の湯のみに注がれた、味が殆どしないお茶を飲みながら、壁に掛かったメニューを眺める。

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 セピア色になった紙切れのメニューを眺めていると昭和40年代の少年時代をかすかに思い出す所がなかなか楽しい。今日は「チャーシュー麺」にしてみた。


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 「かんすい」の効いた、あの独特な麺の香りに、ややむせながら麺をすすると懐かしい記憶がよみがえってくるのが面白い。

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 片岡義男氏著、原作の「スローなブギにしてくれ」のワンシーンに出て来る食堂が、昔から大好きだった。


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 ふたりは、店に入った。街道ぞいによくあるトラック食堂だった。地元の男たちにたまり場もかねているらしい。ちらほらと客がいた。ジュークボックスの演歌が、大音量で鳴っていた(スローなブキにしてくれより抜粋)

 

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 だたっ広い店内の壁にはメニューが一杯だ。一体何種類の料理があるのだろうか?でもこんな時は、普段絶対に口にしない「天ぷら定食」を注文するのが極めて正しい選択。

 天ぷらも「衣が分厚い、フリッターのような」面構えが「正しい大衆食堂の天ぷら定食」なのです。
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 街道沿いに面した食堂の駐車場には、たくさんの長距離トラックが停まっている。ドライバーたちは食堂に入るや否ら「瓶ビール」を注文し、炭水化物と脂質の王様「かつ丼の大盛り」を頼む人が多い。

 ビールを数本飲んだトラックドライバーたちは、自慢の長尺トラックに戻ると、運転席の後ろや、天井の隙間に据え付けられた仮眠用ベッドに潜り込む。

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 長距離トラックドライバーと言う職業は、昔で言う羊飼いに似ている気がする。混沌とした令和の世の中において、こんなにロマンチックな職業も他に例を見ない気がする。

 

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 絶滅危惧種の街道沿いの食堂&ドライブインだけど、まだ営業しているだけ頼もしい。街道沿をあてもなく運転していると、既に廃墟と化したドライブインに出くわす。

いわゆる昔の「オートスナック」だ。

なんだか懐かしすぎて涙が出てくる。f:id:konahawaiihilo:20200511195022j:image

きっと色んな出会いや物語があったのだろう。今は静かに朽ちていくだけ・・・
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悲しいね。実に悲しい😖💦

不思議の国「トルクメニスタン」

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 仕事の関係で中央アジア独裁国家トルクメニスタン」に2017年と2019年の2回、訪れるチャンスに恵まれた。

 トルクメニスタンは本当に不思議な国だった。昔は旧ソ連に含まれていたが、現在は完全な独裁国家である。天然資源が豊富な国なので、光熱費や教育費、住居、医療費(一部は負担)などはすべて無料。空港は大統領の名前が付いた、恐ろしく豪華な作りで煌びやかであるが、利用する人が殆ど居ない。しかも空港内の照明の明るさが半端でなく明るいので、目がしばしばしてしまうほどだ。空港の通路には売店やショップのようなものは全くなく、ただ延々と歩く歩道が続いている。


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 空港からアシガバッドの市内に向かうと、これまた風景が他の国とは全く異なる。先ず建物は全部「白色」で統一されていて、広告や看板などが一切なく、また人がほどんど居ないのだ。白い大きな建物はどうやら住居のようなのだが、人気が全く感じられない。たまに道端に居るのは、軍人らしき男性だけである。クルマもほとんど走っておらず、閑散としている。


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 仕事の合間に宿泊先から歩いて30分くらい先にあるスーパーマーケットに行ってみた。スーパーマーケットに向かう途中、民族服を着た女性が道端の掃除をしていた。よく見ると花壇や芝生の手入れをしている女性が結構いることに気づいた。

 スーパーマーケットの吹き抜けは非常に豪華な作りで、モスクのような雰囲気で煌びやかであるが、やはり人気が殆どなかった。

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食品売り場はとても充実していて、食料品から、洗剤、鮮魚、肉類に至るまで、品数が豊富だったが、買い物をしている人はやはり少なかった。
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野菜類は全て量り売りのようで、新鮮な野菜がぎっしりと並んでいた。肉類や魚も購入したい分だけ、スタッフに頼んで購入するシステムのようだった。値段はどれも驚くほど安かった。
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アシガバッドの夜の風景がこれまた独特で、有り余る電力を使うためなのか?街中の建物に電飾やネオンサインのような仕掛けがしてあり、趣味の悪い「ビカビカ」ネオンサインの街に変わってしまう。

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もし、トルクメニスタンの若者が日本に留学か何かで来て、日本の高速道路脇の「ラブホテル」のネオンサインを見たら、間違いなく「故郷トルクメニスタン」を思い出し、涙するような気がする(笑)


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しかもこのネオンサインは色がどんどん変わり、忙しく変化するのだ。紫からグリーン、黄色、オレンジ、青、白、赤と言うように15秒から30秒おき位に、目まぐるしく変化し、夜が明けるまで「ネオンサインの不思議な光景」は続くのだ。


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最初はモノ珍しくて写真や動画を撮りまくっていたが、半月も滞在していると、この「ビカビカネオン」も飽きてしまい、ただボッーと眺める自分が居た。

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 例のスーパーマーケットの屋上にトレーニングジムがあった。ボクは仕事の合間にほぼ毎日ここにトレーニングに出かけた。ここのスタッフたちは、どこかあか抜けていて、「欧州やアメリカへの強い憧れ」のような雰囲気が満ち溢れていた。仲良くなったトレーナーの男性が「闇ルートで両替しないかい?」と持ちかけてきた。レートは正規の3倍だった。聞くと「自国の通貨で貯金をしても、ある日突然紙切れ同然になる可能性」があるので、貯金は「ドル」でしたいとのことだった。当然違法だが50ドルほど両替してあげたら、嬉しそうに微笑んでいた。


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 トレーニングジムのフロントスタッフは皆「エキゾチックな美人」ばかりだった。白ロシア系やアジアとの混血で魅力的な女性ばかりだった。


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 その中で英語が唯一出来るフロントスタッフのELAと仲良くなった。アクセントは解りにくい英語だったけれど、流暢に話す英語は聞けば独学とのことだった。ボクはこのELAと仲良くなり、ほぼ毎日スーパーマーケットの中にある色々なレストランでランチを共にした。「外国に行きたい」それが彼女の夢だった。スマートフォンで過去色々な国に行った写真を見せて上げると「食い入るように」写真を見ていてた彼女の姿が今でも忘れられない。

 コロナウイルス騒動の昨今、ELAやトルクメニスタンの人々は元気でやっているだろうか?