祖父のアップルパイ
5月5日は亡き祖父の誕生日だった。鹿児島県出身の祖父は小学校しか出て居なかったけど、非常に腕の良い洋菓子職人になり、戦後、自分の洋菓子屋を持つまでになった。
最盛期は全国から集まった見習い職人を十数人、工場の離れに住まわせながら、技術指導をしていた。まだ小学校だったボクは、祖父の工場でお手伝いするのが大好きだった。
昨今のコロナウイルス騒動で、東京に非常事態宣言が出てから、亡き祖父を思い出し、アップルパイを3回焼いてみた。
アップルパイに適した、酸味の多い紅玉を探すのは至難の技で、どこのスーパーマーケットも「フジ」ばかりで、寂しい限りだった。
昭和40年代後半、渋谷の円山町には沢山の料亭があった。亡き祖父は得意先の料亭に良く連れて行ってくれた。
馴染みの料亭に着くと、先ずは檜風呂に入り、ひとしきりさっぱりしてから、懐石料理を戴くのは、子供ながらに贅沢なことだなと感じたものだった。