Konaおじさん’s blog

もっと自由に生きよう

自粛生活で気づいたコト

 この自粛生活で1つ気づいたことがある。それは「時間はただ待っていると、とても長く感じるが、追いかけているとあっという間に過ぎ去る」と言うコト。 

 

 コロナウイルスによる前代未聞の「非常事態宣言」を受け、日本全国、いや世界中、自粛生活が続いている。いつもであれば、月の半分は海外遠征に帯同し、日本に居られれば朝5時過ぎからジムでトレーニングをしてから、早朝座禅会に参加し、時間があれば海でSUPレースのトレーニングか、うねりが入れば波乗りをするような、シンプルだけど結構忙しい生活をしていた。ところが自宅待機が続き、様々な制約があるとさすがに1日が長く感じる時もあった。ボクは本を読むのが大好きだけど、さすがに毎日読書ばかりでは疲れてしまいます。

 そんな時、Amazonで1冊の本を見つけた。「旧街道 じてんしゃ旅」と言う、中年おじさん二人が東海道の旧道を今は流行りの「グラベルバイク」で旅すると言うものだ。

ボクはすっかり魅了されてしまい、少年時代大好きだった「じてんしゃ旅」を再開しようと決断したのだった。

f:id:konahawaiihilo:20200509173820j:image

  Facebook繋がりの知人に岡山県の笠岡出身の人が居て、メッセンジャーで現状の生活などのやり取りをしていたら、瀬戸内海の「しまなみ海道」のコトを教えてもらった。「旧街道 じてんしゃ旅」と言い「しまなみ海道のじてんしゃ旅」と言い、すっかり頭の中で「じてんしゃ旅」を想像しながら遊ぶことが出来るようになり、1日があっと言う間に過ぎるようになった。


f:id:konahawaiihilo:20200509173830j:image

  一番多いときはピストバイクやロードレーサー、マウンテンバイクなど5台の自転車を保有していたけど、現在はこのミニベロ1台だけ。グラベルバイクが欲しい所だけど、このミニベロなら輪行も楽だし、新幹線を使ってしまなみ海道を走破する「じてんしゃ旅」には都合が良さそうだ。

 ちなみにこのミニベロ、サドルをお気に入りのBROOKS、ハンドルを日東のブルボーンに変えているオリジナルミニベロなのです。
f:id:konahawaiihilo:20200509173906j:image

 毎回2階に上げるのは面倒なので2×4の木材に金具をかまし、階段の中空に浮くように置いている。こんな下らない1つひとつを楽しめるボクは結構幸せなタイプなのかも知れない。バツサンだけど(笑🤣)

 

 

民宿「ダイアモンドヘッド」

 f:id:konahawaiihilo:20200509103129j:image

 10年程前からTVを観ない生活をしている。当然自宅にテレビは無い。TVを止めると驚く程ストレスから解放されるのだ。

 今年の年始、何気なくYouTubeを観ていたら、昔懐かしいドラマ「ビーチボーイズ」にぶつかった。調べてみたら1997年製作で、もう23年も前のドラマだったのには驚いた。当時まだ17歳だった広末涼子さんの初々しい笑顔に、だいぶやられてしまった。

f:id:konahawaiihilo:20200509143224j:image

 ネットで検索してみると、このドラマのロケ地が千葉の館山にあることがわかった。なんだか、すっかりこのドラマに魅了されてしまったボクは、ひとりで寒風吹き荒れる1月下旬、クルマを飛ばしロケ地の海岸に行ってみることにした。

 民宿ダイアモンドヘッドのロケ地の海岸は、画面で見るよりかなり大きく、荒涼としていた。ドラマのシーンに出てきた、懐かしい海岸や海岸に続く畦道も、当時のままだった。

f:id:konahawaiihilo:20200509144450j:image

 たまには、こんなノスタルジック・ドライブも良いもんだと思った。今はコロナウイルスの関係で自由にドライブに行けないけれど、終息したら色々と出掛けたいな。

ハワイ島メモリー


f:id:konahawaiihilo:20200509023202j:image

 20代後半から、当時勤めていた財団の出向でハワイ島に赴任した。最初の数ヵ月は東側のヒロに住むことになった。日系人が多く住むヒロは「雨の街」と言われる程、雨量の多い地域で、それは同時に植物の生育には、この上無い環境だった。

 ヒロは大きな湾に面した土地柄、津波の被害で壊滅的な被害を受け、ホノルルに次ぐハワイ第二の都市にも関わらず、大きな発展もせず、ある時点で時間が止まったような雰囲気を持つ、オールドタウンが魅力的な街だった。

f:id:konahawaiihilo:20200509025004j:image

 当時のボクの日課は、小雨の降る早朝5時30分、愛用のマウンテンバイクでダウンタウンにある古びたダイナーに向かうのが常だった。作家「片岡義男氏」の「ヒロ発11時58分」の舞台にもなった、エルシーズが毎朝、朝食を摂る場所だった。KEAWE StとMAMO Stが交わる四つ角の隅に佇むエルシーズは日系人のたまり場だった。ついこの間、気まぐれにGoogle mapで覗いて見たら、あの古き良き建物はすっかり取り壊され、隣接するKTA(ハワイのスーパーマーケット)の駐車場になっていた。

f:id:konahawaiihilo:20200509030518j:image

 日系人2世の篠原ご夫婦が営んでいたエルシーズには、木曜日と日曜日を除くほぼ毎朝、本当にお世話になった。1990年代初頭の話だが、ご夫婦とも既にかなりの高齢で、いつもなんとなく弱々しい感じで心配だった。

f:id:konahawaiihilo:20200509031126j:image

 しばらくして、ボクは2000ドルのオンボロピックアップトラックを手に入れた。エルシーズの常連客のヨナシロさんが経営していた「ヨナシロモータース」の片隅に、ホコリをかむったまま取り残のこされていたピックアップトラックだった。

 日系2世のヨナシロさんの奥さん、ジェーン・サチコ・ヨナシロさんが作る「ライスプディング」は本当に美味しかった。日本ではあまり馴染みのないライスプディングだけど、ほのかに甘味のあるライスプディングは、まさしくハワイ島の味だった。特にジェーンの作るライスプディングには、缶詰めのミカンが混ぜてあり、日本とアメリカの文化がミックスしたような、懐かしい味だった。

f:id:konahawaiihilo:20200509032252j:image

 

祖父のアップルパイ


f:id:konahawaiihilo:20200508222138j:image

 5月5日は亡き祖父の誕生日だった。鹿児島県出身の祖父は小学校しか出て居なかったけど、非常に腕の良い洋菓子職人になり、戦後、自分の洋菓子屋を持つまでになった。

 最盛期は全国から集まった見習い職人を十数人、工場の離れに住まわせながら、技術指導をしていた。まだ小学校だったボクは、祖父の工場でお手伝いするのが大好きだった。

f:id:konahawaiihilo:20200508223150j:image

 昨今のコロナウイルス騒動で、東京に非常事態宣言が出てから、亡き祖父を思い出し、アップルパイを3回焼いてみた。

 アップルパイに適した、酸味の多い紅玉を探すのは至難の技で、どこのスーパーマーケットも「フジ」ばかりで、寂しい限りだった。

f:id:konahawaiihilo:20200508224901j:image

 昭和40年代後半、渋谷の円山町には沢山の料亭があった。亡き祖父は得意先の料亭に良く連れて行ってくれた。

 馴染みの料亭に着くと、先ずは檜風呂に入り、ひとしきりさっぱりしてから、懐石料理を戴くのは、子供ながらに贅沢なことだなと感じたものだった。


f:id:konahawaiihilo:20200508230420j:image

 

 

しまなみ海道

 
f:id:konahawaiihilo:20200509094315j:image

 コロナウイルスによる「非常事態宣言」を受けて、息が詰まるような閉塞感を感じている人も多いことでしょう。その解決方法は人によって様々です。

 ボクは①トレーニング(今は色々制約はあるが・・・)②読書、③不必要な情報を入れない(元々自宅にTVは無いし、ネットのニュースもほどほどにしている)、そして④が今日の本題「自粛解除の暁には何をしようか?」を想像する事。コイツはかなり効果テキメンに「気持ちがワクワク」して気分が良い。

 瀬戸内海の「しまなみ海道」を自転車で回ろうと思っている。実は小学生の頃から自転車で旅するのが好きだった。はじめて旅に出たのは小学6年生の夏休み。お年玉とこづかいを貯め、高円寺のフレンド商会で組み立ててもらったランドナーで「東京ー新潟」の「日本横断」の旅に出た。昭和50年代のはじめの頃ことだ。2週間かかって東京に戻って来たときには、大粒の涙が溢れたのを今でも覚えている。
f:id:konahawaiihilo:20200508172912j:image

 瀬戸内海は本当に素晴らしい。3年前、SUPのレースで播磨灘にある、ひなびた昔ながらの海水浴場に行った。瀬戸内の穏やかな海原を漕ぐのは本当に気持ちが良かった。今度は自転車で島々を巡ろう。四国に着いたらそのまま、粟島に渡って「漂流郵便局」まで足を伸ばすのも楽しそうだな。


f:id:konahawaiihilo:20200510202642j:image